矢津久良のひとりごと。

気ままに、のんびり。

息抜きに

先日のブログ記事でもプロフィールでも書いていますが、あたしの好きなこと。

 

字を書くこと。

 

元々、うちの教育方針として、

「字は綺麗に、正しく書きなさい」

と母にも祖母にも言われており、お陰でとっても文系になりましたw

毛筆は苦手でどうもうまくやれませんでしたが、硬筆は得意中の得意で、あの鉛筆と紙が擦れる滑らかな感触と炭素のきらめきには、今でも心が踊ります。

これちょっと自慢なのですが、小学校の頃に硬筆コンクールで2回金賞、銀1回、佳作1回入賞でメダルをもらったことがあります。

昔取った杵柄ではありますが、そんな経験のおかげで、あたしにとっては手書きで字を書くことがとても楽しい趣味の1つとなっています。

 

冒頭の話に戻りますが、字を書くにあたって。

 

皆さんは何を重視しますか?

書き心地?

見た目のバランス?

正確さ?

味?

疲れのなさ?

筆圧?

あるいは、そこまで考える必要もない、という方もいるかもしれません。

 

今回は、「趣味として書く」ことについて、オススメを通してお話したいと思います。

 

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これが、今趣味として書くときの道具です。

一時期、文房具界と芸術界で話題になった、ガラスペンです。

書いた字の感じはこんな風になります。

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(書くときの姿勢が悪くてナナメってますがw)

 

まあ何となく見た目から(インクカートリッジがないですから)、インク持ちが良くないことはわかるかと思います。

漫画を描くときのつけペン(Gペンとかスプーンペンとか丸ペンとか)というものがありますが、あれに似ています。

つけて、少し書いて、字が掠れたら、またつける。

急ぎのメモや、早く大量に書きたい時、あるいは机上にインクを置くスペースが確保できない時などには全く使えません。

しかしインクの伸びとグラデーションがでやすく、あぶり出しのような味わい深い字が書けます。

 

じっくりゆっくり書けば丸く穏やかに。

 

さっと早く走らせれば、ガラスとは思えないほど柔らかく滑らかな曲線を。

 

力強く書けば太く濃く芯のある字に。

 

 ボールペンでもある程度表現はできますが、

紙を過度に傷めずに字に厚みを持たせることができるのはガラスペンや万年筆ならではだと思います。

 

また、万年筆とガラスペンでは難易度がさらに変わります。

万年筆のペン先は非常にデリケートで、メンテナンスも欠かせません。物にもよりますが、その見た目に劣らずなかなかいい価値があります。力加減を誤ると、(漫画のペンにも言えますが)モノによってはそのまま曲がって直らなくなってしまったり、欠けてしまうことも。

 

一方ガラスペンは、ガラスが折れるほど力をいれなければ、そして硬いところに落としたりぶつけたりしなければ、折れる事もかけることもありません。

メンテナンスは使い終わったら水で洗ってしっかり拭くだけで、オイルとかインク詰め直しとかの煩雑さはありません。

 

筆ペンを始めとして、初めて持つ筆記具は総じて、その書き味が馴染むまでに掛かるものですよね。ガラスペンも、「インクをペン先にどの程度つければ良いか」という点については、やはり慣れが必要です。

しかし、趣味として見た時に、スペースもそんなに取らず、保管やメンテも楽で、美術品的な美しさがそれほど高くなく手元に置けて、実用的であるという魅力があれば、十分かなと個人的には思います。

正直言って、気温や室温の変化で液漏れを起こしてしまう筆ペンや、冬にインクが固まってボールが回らなくなる安物のボールペンよりはストレス無いですね。(www

 

こんな風に、趣味として字を書くにあたっては、掘り下げると結構面白い角度で道具を選べます。

 

喫茶店のマスターがお湯を注ぐポットにこだわるように、(というとまたちょっとマニアックになってしまうかもしれませんが、身近なものでいえば、)それは靴の履き心地であったり、香水のラストノートの響き方であったり、唇とリップスティックの相性であったりするわけです。

 

液漏れを起こしてるのを無理やりティッシュに吸わせて調整してでも筆ペンで書きてぇんだよぉっ!てな時もあれば、ガラスペンなんていうシャレオツなもので字を書いてる自分マジ優雅すぎますわオホホホ〜!ってな気分な時もあるし、なんだかんだ言ってボールペンでもシャーペンでも書いてます。w

 

拘ろうと思えばどこまででも拘れますし、ゆーて別に何でもええじゃろと思えばどこまででも代わりは効きます。

 

だからどれが一番とか何が正解、と言うのではなく・・・そう、たまには、「いつもと違うところ」から「いつもの何か」を掘り下げてみると、面白いことが見つかるかもしれません、ということです。